シニアドッグ介護習得コース 講師の寺井です。
昨日はシニアドッグ介護習得コース、第4回目。
介護技術の総まとめと、新たにケーススタディというステップが始まりました。
知っていただいた介護技術をどう介護の現場に役立てていただくか
私の介護経験をもとにお伝えしていきます。
回を重ねていくにつれ
参加者様の質問が増えてきました。
ご自身の気持ちをお話ししてくださることも。
それが嬉しいです。
犬の介護を通して、、、
そう。介護だけではなく
私たちは色々なことを考えます。
「歳をとるということ(老いる)」
「歳を重ねていく側で、支えていくということ」
「どう支えるか」
「生きる力が尊いこと」
「いつか旅立っていくということ」
昨日は人の介護の話も出ましたが
人の介護も犬の介護も考え方や捉え方はとても似ていると思います。
歳を重ねて、いつか旅立っていく。
側にいる者は、
その命を尊重しながら支えるとういこと。
人も犬も
歳を重ねていくにつれて
様々なことができなくなってくるかもしれません。
歩いたり立ったりすることができなくなる。
目が見えにくくなる。などなど。
でも、それは悲しい事ではなくて
昨日はシニアドッグ介護習得コース、第4回目。
介護技術の総まとめと、新たにケーススタディというステップが始まりました。
知っていただいた介護技術をどう介護の現場に役立てていただくか
私の介護経験をもとにお伝えしていきます。
回を重ねていくにつれ
参加者様の質問が増えてきました。
ご自身の気持ちをお話ししてくださることも。
それが嬉しいです。
犬の介護を通して、、、
そう。介護だけではなく
私たちは色々なことを考えます。
「歳をとるということ(老いる)」
「歳を重ねていく側で、支えていくということ」
「どう支えるか」
「生きる力が尊いこと」
「いつか旅立っていくということ」
昨日は人の介護の話も出ましたが
人の介護も犬の介護も考え方や捉え方はとても似ていると思います。
歳を重ねて、いつか旅立っていく。
側にいる者は、
その命を尊重しながら支えるとういこと。
人も犬も
歳を重ねていくにつれて
様々なことができなくなってくるかもしれません。
歩いたり立ったりすることができなくなる。
目が見えにくくなる。などなど。
でも、それは悲しい事ではなくて
ましてかわいそうな事でもなくて
自然なこと。
命は全てそういう過程を経て
最期に旅立っていくのだから。
でも、どう旅立っていくのか、は
側で支える者によって変わっていく。
最期のひとときを、安心して
心地良く、穏やかに。
時に楽しく。
そういう時間をなるべく増やしたい。
そのお手伝いが、私の考える介護です。
昔、私がボランティアや仕事で関わっていた介助犬育成団体。
残念ながら今はもうないのですが
その団体で介助犬の候補犬だったピースくん。
先日、大往生しました。
昨日が四十九日。
仕事で訪問できなかったので、数日前に行ってきました。
候補犬時代に若年生白内障が見つかり
介助犬にはなりませんでしたが、団体の代表が最期まで自宅で
たくさんの愛情を注ぎました。
代表にとって大切な家族でした。
持病がありましたが、様々なケアで病気の症状はだいぶ治り
最後は老衰で旅立ちました。
最期の最期まで幸せなピーちゃんでした。
若い頃のピーちゃん。
私はピーちゃんのお散歩やシャンプー。
いろんなお世話をしました。
厚木の広い河原。
ロングリードで一緒に走り回りました。
2時間のロングお散歩。
あの頃は私も若かった(笑)
ピーちゃんと一緒に走り回って転んで
しょっちゅう手足を擦りむいてました。
11年前の写真。
代表が体調を崩して入院した時には、あずかってしばらくお世話していました。
当時は、すでに老犬介護の仕事をしていましたが
賃貸マンションで暮らしていて、うちであずかることができず
主人の母に頼んでピースくんと私が義母の家に住まわせてもらいました。
義母は懐の大きい人で、こういう時に
「うちに来な!」と快諾してくれました。
ピースくんと代表が元気になるのを
義母の家で暮らしながら待ちました。
代表は「ピーちゃんが待っているから」と
治療に励みました。
私にとっても、様々な思い出があるピーちゃん。
代表の家で、手を合わせてお線香を手向けましたが
不思議と悲しくありませんでした。
ピーちゃんが最期まで幸せだったことを
一番分かっているからだと思います。
悲しみではなく、
何か大きな区切りのようなものを感じました。
「ひとつの時代が幕を閉じた」
そんな気持ちでした。
私の今の犬の介護という仕事に大きな影響を与えてくれた介助犬。
その団体で出会ったピースくん。
関わった他の犬達はみんなすでに他界しており
ピーちゃんが最後の1頭でした。
代表も「悲しみに暮れる」そんな顔ではなく
「きちんと見送ることができた。最期まで最善を尽くした」
そんな表情でした。
もちろん寂しさで涙ぐんでいらっしゃいました。
でも、旅立ちは悲しいものではなく
自然なこと、それを身をもって知っているからなのだと思います。
生きること、
旅立つこと。
それを教えてくれるのが犬達です。
きっとこの仕事をしていなければ
このような深い学びはできなかったかもしれません。
ピーちゃん。ありがとう。
どうか安らかに。
またいつか会おうね。
命は全てそういう過程を経て
最期に旅立っていくのだから。
でも、どう旅立っていくのか、は
側で支える者によって変わっていく。
最期のひとときを、安心して
心地良く、穏やかに。
時に楽しく。
そういう時間をなるべく増やしたい。
そのお手伝いが、私の考える介護です。
昔、私がボランティアや仕事で関わっていた介助犬育成団体。
残念ながら今はもうないのですが
その団体で介助犬の候補犬だったピースくん。
先日、大往生しました。
昨日が四十九日。
仕事で訪問できなかったので、数日前に行ってきました。
候補犬時代に若年生白内障が見つかり
介助犬にはなりませんでしたが、団体の代表が最期まで自宅で
たくさんの愛情を注ぎました。
代表にとって大切な家族でした。
持病がありましたが、様々なケアで病気の症状はだいぶ治り
最後は老衰で旅立ちました。
最期の最期まで幸せなピーちゃんでした。
若い頃のピーちゃん。
私はピーちゃんのお散歩やシャンプー。
いろんなお世話をしました。
厚木の広い河原。
ロングリードで一緒に走り回りました。
2時間のロングお散歩。
あの頃は私も若かった(笑)
ピーちゃんと一緒に走り回って転んで
しょっちゅう手足を擦りむいてました。
11年前の写真。
代表が体調を崩して入院した時には、あずかってしばらくお世話していました。
当時は、すでに老犬介護の仕事をしていましたが
賃貸マンションで暮らしていて、うちであずかることができず
主人の母に頼んでピースくんと私が義母の家に住まわせてもらいました。
義母は懐の大きい人で、こういう時に
「うちに来な!」と快諾してくれました。
ピースくんと代表が元気になるのを
義母の家で暮らしながら待ちました。
代表は「ピーちゃんが待っているから」と
治療に励みました。
私にとっても、様々な思い出があるピーちゃん。
代表の家で、手を合わせてお線香を手向けましたが
不思議と悲しくありませんでした。
ピーちゃんが最期まで幸せだったことを
一番分かっているからだと思います。
悲しみではなく、
何か大きな区切りのようなものを感じました。
「ひとつの時代が幕を閉じた」
そんな気持ちでした。
私の今の犬の介護という仕事に大きな影響を与えてくれた介助犬。
その団体で出会ったピースくん。
関わった他の犬達はみんなすでに他界しており
ピーちゃんが最後の1頭でした。
代表も「悲しみに暮れる」そんな顔ではなく
「きちんと見送ることができた。最期まで最善を尽くした」
そんな表情でした。
もちろん寂しさで涙ぐんでいらっしゃいました。
でも、旅立ちは悲しいものではなく
自然なこと、それを身をもって知っているからなのだと思います。
生きること、
旅立つこと。
それを教えてくれるのが犬達です。
きっとこの仕事をしていなければ
このような深い学びはできなかったかもしれません。
ピーちゃん。ありがとう。
どうか安らかに。
またいつか会おうね。
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